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わたしが何故、歯科医になったか


私はこの稲美町で生まれ育ちました。
稲美町岡にある坂東歯科医院が私の実家です。現在は父に代わり兄が仕事をついでいます。
子供の頃、友達に「大きくなったら歯医者さんになるんやろ?」とよく聞かれました。
そのたびに「いいや、ならへんで。」と答え続けてきました。
私が高校3年生のときに、進路を決めなければいけない時期が来ました。
実は父だけではなく祖父も歯科医で、当時兄は歯科大学2年生でした。
私はそれまでこんな仕事に就きたいとか、こんな事がしたいとか、具体的に考えた事は1度もありませんでした。また、両親から歯科医を目指せと言われたことも1度もありませんでした。
なぜ、祖父、父、兄に続き私までもが歯科医になろうと思ったかというと、高校3年のある日、母親が私に「お兄ちゃんとあまり差がつくような仕事には就かないでね。」と言いました。
昔からあまり物事を深く考えない性格の私は、それなら歯科医になればややこしい事考えなくてすむと思い単純な気持ちで受験しました。
なんとか歯科大学に合格し、学生時代もあまり物事を深く考えない性格の私は、それなりに勉強し、なんとか卒業、国家試験も無事合格しめでたく歯科医となりました。
そんな感覚で歯科医となった私は、特別にどんな歯科医になろうとか目標はありませんでした。
卒業後、助教授から紹介していただいた姫路の歯科医院で働きながら、歯科大学で2年間研修し、それなりに勉強もしました。
その頃の私は、

「虫歯はつめる、悪い歯は抜く、歯のない人には入れ歯を入れる。」

そういった治療をしていました。
一見当たり前のような事ですが、必死にそれを実行していました。その後も何箇所か別の歯科医院で働きました。
日本でも有名な入れ歯の先生のところで8年、明石の矯正歯科で11年、大阪の先生、六甲アイランドの先生と掛け持ちでいろいろな場所で仕事をしながらいろいろな勉強する機会に恵まれました。

開業は遅くなりましたが、そのおかげでいろいろな歯科医院を見ることができ、「テクニックだけじゃなく、歯科治療って何をする事?どんな仕事?」って言う事が、卒業して10年以上経ってやっとわかってきました。

それは、先ほど言った卒業したばかりの頃にしていた

「虫歯はつめる、悪い歯は抜く、歯のない人には入れ歯を入れる」

といった単純なことではありません。
一言で言うのは難しいですが、悪い結果をもたらすには必ず原因があり、その原因を取り除かなければまた同じ結果を生むということです。
今はこの事を気づいたことが私の財産であり目標です。

最後になりましたが私が母親の一言から

歯科医という仕事に就いて本当に正解だったかどうかですが、はっきり言って今でもわかりません。
ただ私は幼少の頃から絵を描いたり、物を作ったりすることが大好きでした。
歯科医として現在している細かい仕事が好きですし、まったく苦になりません。
逆に楽しんでこだわりをもってしています。
仕事から帰って自宅で時間がある日は、夜中まで模型を作ったりすることもあります。
家族には「細かい仕事をした後で、まだそんな細かい事してるの?」とあきれられます。
好きな事というのは全く苦にならないもので気がつけば夜中の2時や3時になっていることもよくあります。
そういった意味では私はこの仕事を選んで正解だったのかなと思います。
また、治療が終了し、患者さんに笑顔で喜んでもらえたときにはこの仕事に就いていて本当によかったなと実感いたします。
これからも患者さんに喜んでいただけるよう、私なりにこだわった治療を続けていくつもりです。

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